2012年12月11日

私と着物と私の着物への愛 〜2012年の年末に寄せて〜



今日はすっごく長いのねん。
着物への愛を語っちゃうのねん。


私の父は8人兄弟の末っ子で着物が普段着だった世代の母親(私の祖母)に育てられた人だ。父は世のご多分に漏れずやはり母親への追慕があって着物に弱く着物を着ているおばあちゃんに弱い。年増の芸妓さんといったら父はもう隣に張り付いて離れないくらいだ。

「『みてみてこれ〜、1000円だった〜〜』(←声色を変えて)って坂を登って来たのを見たときは、本当にどうしようかと思った」というのがその父の言。

その日は何の用事だったか忘れたけれど父と駅の前で約束をしてご飯をご馳走になるのだった。「キモノ」がちょっとしたブームになった頃でリサイクルキモノ屋さんと大正ロマンがキーワードできくちいまさんと通崎睦美さんがこの世界の二大アイコンだったと思う。

私は1000円で仕入れたグレー地に赤い刷毛模様の紬の着物を着ていた。赤い裾回しがお気に入りでよく着ていたけれど、本当は幅がぜんぜん足りてなくて裾は肌蹴け放題の着物だった。中に黒いタートルを着て、確か帯揚げを持っていなかったかなんかで帯は名古屋帯を角出し(と自分が信じるところの)を結んでいたと思う。足袋は生まれて初めて自分で買った足袋で濃い紫と土色の柄の足袋で下駄は中学生の頃に買ってもらった浴衣用のうそっこ別珍の鼻緒の下駄だった。無印良品で買ったショルダーバッグを斜め掛けにして坂を登ってくる娘を見たときの父親の、なんというかぎょっとしたというよりは「まーた突拍子もねえことはじめやがったな」というような破顔だったが、だいたい子供の行動に心労ということがない人だったからそんな私を見たのが母親ではなく父親だったのは心から良かったと思う。





ただただこのキモノのこの色が好き、この裏地が好き、この柄が好き、というだけで着物を選んだ。偉い(格の高い)着物だとかそんなことは考えもしない。纏っていればよい。ミニスカートを履く人がいて長スリットの入ったロングスカートだと思えば着物が肌蹴けたからってなんの悪いことがあろうか。このおはしょりというやつがなければウエストあたりはもう少しスッキリするんだと思うんだが余計太って見えるじゃないか。襦袢とか要らないし、なんならこの衿の所だけなんかこんな風に重ねて巻いとけばいいんじゃないか。補正とか意味不明

私の父も、私の義母も、(勿論私の実母なんかは歯軋りをするくらい)、苦い顔をすることもあったけれど私にとっての着物応援団である二人はそれでも殆ど何も言わなかった。本当にごくたまに「こういうことは本当はあまりしないものよ」とか「自分の世代からしたらこんなんはみっともねえなって感じがするよな」とかごくたまーに、行き過ぎじゃないかな、と思ったら何か声をかける程度のことで、私は自分の「着物が大好き」な魂を十分謳歌できた

とにかく小銭を積んで稼いだ私の着物の箪笥の中身は結婚して引っ越して暫らくしてから第一次断捨離(当時はそんな言葉はなかったが)で大体始末されて、いわゆる「ちゃんとしたもの」だけが残った。その後、浴衣を着て花火を見に行く事もあったし、晴れ着を着て結婚式やらパーティやらに出かける事もあったけれど、いつもキチンとした着付けの「正しい」和服を着て出かけるようになった。とにかくどうでも着物が着たい、と思った頃の天晴れな破天荒なキモノを私はどうやら卒業したらしかった。ファッションとしての着物を自分の着たように着ることよりも、結婚したそのことで人から見た自分を意識するようになったからなのかなと思う。

もっとたくさん着物着たいなあと思うけれど、一応勤め人だし同居嫁としては色々やらないとなと思うところもあるし、出かける時に着物着ていくとなると義母を煩わせちゃうし(私の着付けで街に出すというのは義母的にはちょっといただけなかったらしいのね・・・w)、と3年、4年と歳月が過ぎたある日、突然もう普段着に着てやるという強行突破に走った。私の周囲に対する強行突破だし、自分に対する強行突破。
外へ着ていく着物ではないから、義母の目もそれほどは光らなかったけれど、買物に出かける時やちょっとした時にちょっとした「手直し」が入ることはよくよくあった。

正直、面倒くさい。直してもらうのって、ね?
わかってるけどできない事を直してもらうのってそらやっぱ気分よくないと思うの。ちっちゃな自分のプライドがさ。

でもそんなことよりも着物を着ていたい気持ちのほうが強かった。

着物の本や着付けの本や時代劇。とにかく何でも知りたい、そうかな、知りたい、というよりはとにかく着物を見てたい、だから本を読む、テレビを観る。そしてそういうことの全部を覚えているわけではなくて、その日その時気になる箇所が自分の中に貯まって来て、ある時それが自分のものとして出来るようになったり、自分なりに納得できることがあったり、と日を重ねてきたらいつの頃からなのか「ちょっとした手直し」が少なくなって来た。

そうすると、「五月蝿いな」と思っていた着付けの手順だとか着物のあれやこれや、そういうものが「ほぉ」「そういうことだったか」と思えることだったりした。


愛といえば愛。着物を着たい、と思い続けることが私の愛の形かもしれないと思う。←かっこいい。そして、何でも簡単に回答が得られる事はそれほど心に残らない。自分なりに紆余曲折あったことが着物への執着になったりしていることもある。


着物を着ている私が今は少しずつ当たり前になってきて洋服姿を見ると少し残念そうに見える父はやっぱりマザコンなんだろうな、と思う。着物を着る母に育てられ、着物を着始めた妻を持った私の夫はとくに何の不思議とも思わない様子で今日もサトウガジロウばりの頭でネットゲームに勤しんでいる。私の娘は成長してどんな風に母親を思うんだろうか。

2012年、年末。
2010年から始まった私の着物生活が3年目を終えようとしている。
私は未だに紆余曲折の最中にあって、物欲まみれで、どうしたら着物生活が満足するのか、探究心は尽きない。

そして、私の、尽きない着物への愛と、尽きない着物への探究心と、尽きない物欲と、紆余曲折を書き綴るこのブログを見守り続けてくださる皆々様に、改めて心からお礼を申し上げたいと思います。いつも見守ってくださってありがとう。皆様の心温まるコメントの数々、大事に大事に思っています。これからもともに、着物を楽しんでいこうね。

愛をこめて。
こなつ


posted by 夏 小奈津 at 13:23| Comment(6) | 着物と物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月28日

おばあちゃんの毛糸の「肩掛け」

割烹着姿なども載せてみる。
割烹着は着物の上に「もう一枚」になる。寒い日は割烹着を脱ぐと寒いなあって思う事も多い。でも割烹着を着てもまだ寒い事があって、羽織を着て割烹着でもいいんだと思うけれど、私が持っている羽織二枚は出かける時に羽織りたいもので汚したくない。それなのでどうするかというと、去年実家から持って帰ってきた大判の手編みのストール・・・というより本当に「肩掛け」を羽織る。PC前で仕事をしたりなんかするときはこれとひざ掛けでしのぐ。



家事のときはよっぽど寒ければ前を結んでそのまま身につけているのもアリかもしれないけれど、台所は燃えそうなのでむり。台所に立つときは火を使うからそこまで寒くないと思うけれどでも、そこまで寒い時は中(下着)を変えないととダメだなあ。

先日娘のお迎えにこの肩掛けをしたまま出たけれど、やっぱりちょっとおばあちゃんぽかったかもしれない。

おばあちゃんぽいのも当たり前。亡くなったおばあちゃんがしていた肩掛け。この肩掛けをして針仕事をしたりしたろうか?晩年はリウマチで針を持てなくなっていたので、もしかしたらベッドの上で身に着けていたのかもしれない。

祖母が亡くなって25年。棺の横で涙を流した自分の姿を今でも鮮明に思い出す。セーラー服のスカートのヒダ、黒いタイツの少し薄くなった脛のところの色、私が嗚咽を漏らしたとき、はっと顔を上げた従兄弟と叔母の様子、母達姉妹のそっくりな足が3組並んでいたところ、知らないおじさん。

実は先日、義母の兄が亡くなった。義母とは二十も離れていて親子ほども離れていたおじさん、義祖母が亡くなった日初めて会った。福耳だなあと思ってそればかり気になりながら、おじさんの昔話を聞いていた。おじさんが入院した時に、お見舞いに行った。ベッドに横になっていたおじさんはやっぱり福耳で、夫と冗談を言っている姿が90を超えた人とは思えないほど元気で、きっと義祖母と同じように百を超えてまだ闊達にしているのだろうと誰もが思っていた。
おじさんとの最期の別れの日、おじさんは盆栽の本を抱いていつもと同じ福耳で、おじさんをおじいちゃんと呼ぶ子ども達、孫達、ひ孫達が、おじさんの棺に花を手向けた。

その孫やひ孫の姿があの日祖母を見送った自分の姿と重なった。たまにしか会わない血のつながった人たちの不思議な縁(えにし)。空気感、風の冷たさや、冬の日の光や、独特の匂いや、廊下のピカピカした感じだとか、白髪の混じったおじさんやらおばさんやら、若くてなんだか良い匂いのする従兄弟やらハトコやら。不謹慎さと別の次元にあるときどき交わされる冗談やら。

そう、祖母がなくなって25年。
私は今、祖母が使っていたような和裁のハサミを持ち針を持ち、祖母がそうしていたように日々着物を着て暮らす。私は、祖母のように働き者ではないけれども、確かに祖母の孫なのだと思う瞬間を積み重ねている。

祖母の命日。そして不思議なことにその日は、義祖母のお誕生日で、そして、私と夫の結婚記念日でもある。時を重ねていく、時代がつながっていく、と思う12月12日。
1、2、1、2、一歩づつ。チクタク、チクタク、と時を刻むように。


こなつ



posted by 夏 小奈津 at 15:46| Comment(2) | 着物と物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月12日

秋の始まり

涼しくなってくると、ぼちぼち浴衣を仕舞って、単のサマーウールを夏を惜しむように着まくる。それが私の秋の始まりみたいだ。

久しぶりに袖を通すサマーウールは義理のおばから受け継いだ年季物。洗って干すとポツポツと虫食いが目立つが白い下着の上に着ている分には少しも目立たない。かっこいい言葉で言えばビンテージ。そのせいか古典的な帯と合わせてみたくなる。
普段着物で家事育児してます。

この帯は私が物心ついて初めて自分で選んで買った帯。
ダイエーのますいわ屋へ母と一緒に出かけた。初めての「呉服屋」経験だったと思う。母が若い頃にお茶とお華のお稽古できていたウールの縞の着物を持って行って素直にまっすぐにどんな帯が合いますか?安くていいので、とお店の人に訊いたんじゃなかったかしら?

今思うとあんなにざっくりした質問でよく上手に選んでくれたと思うような気がするのだけど、あの頃の呉服屋さんの店員さんはやっぱり着物を着る人だったかもしれない。それか、大きなチェーンの呉服店ならそういうものかしら?今では大きなチェーン店だからこそ怖い!と思う事もあるけれど。(とんでもない店員さん、たまにいるよね?)


ウールの着物なら半幅帯でも大丈夫。自分で締め易い。この色とこの柄ならこの着物に合うんではないかといくつか選んでもってきてもらった中にこの帯があったんだったと思う。思ったよりも高かったのだけれど、しっかりした良い物だし、と母も賛成してくれてこの帯を買った。



確かにこの帯はポリエステルで、絹に比べることは出来ないけれど、ピンキリで言えばピンのポリエステルだと思う。締めてもゆるゆるとしない。


この帯が気に入っているせいなのか、櫛や簪の意匠がとても好きになった。
先日もかまわぬの櫛と簪の柄を買ったばかり。



普段着物で家事育児してます。

夏の間は暑いかなあと思って敬遠してた帯をどんどん締める。これもポリエステルだけれど、ウラの一本独鈷の方を表にするのも好きだし、この縞柄を出すのも好き。この帯を締めると昭和初期の文学の主人公の誰かみたいな気がしてくる。勿論妄想。そんなことを思うので髪を横櫛というのだっけ、結わないで横に流すように結んでみたりとか。



普段着物で家事育児してます。

そんなことばかりやってると飽きちゃって、モダンなの、モダンなの、と思いながら箪笥の引き出しから引っ張り出したりする。カーテンみたいだなといつものように思いながら、半幅なんだけど、新しい帯締めを締めたくてお洒落ぶる。


今日は木綿の着物を着て会社へ行った。昼間暑かったので、例の通り夏物の身頃に塩瀬の衿をつけて、ご丁寧に肌着までシボのものを着て行ったから、帰りは遅い時間になって寒かった。秋は始まると駆け足で行ってしまう。サマーウールもそろそろしまい時だ。






「すまいわ屋」と言ってしまう
こなつ

posted by 夏 小奈津 at 23:11| Comment(6) | 着物と物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月30日

おばあちゃんと文庫結び



ある日の夕方私は娘を耳鼻科に連れて行った帰りでぐったりと疲れていてお気に入りのロングスカートの裾もよれよれとしていて娘だけが元気にケンパしながら路地を歩いていた。
少し遅れた娘を振り返ると、喜寿も迎えたろうと思われる女性が白い日傘を差して微笑みながら私と娘を追い越していった。

薄い水色のうすものにブロックに色分けされた虹色の半幅帯を文庫に結んでいた。寄る年波のせいで少し背が曲がっているけれど、その曲がった背をしゃんと伸ばすようにして日傘をまっすぐに差して歩いていた。ほんの少し短めに着付けた着物の裾からこはぜのきゅっとしまった真っ白な足袋と低めの夏の草履がとても涼しげに規則正しく見えたり隠れたりした。

以前読んだ日々、きものに割烹着読書録にも書いたけれど、おばあちゃんの文庫姿というのが案外素敵。

重ねた年月を思わせる人、生き様が刻まれたような後姿。

文庫結びは何となく、可愛らしい娘さんのイメージ。でも、年を重ねた人の文庫姿が素敵なのはなんでなんだろう。自分が結ぶのは気恥ずかしいよな気がしたりもしたけど、素敵なおばあちゃんの文庫の後姿を見るたびに、私も文庫結びの似合うおばあちゃんになりたいと熱烈に思う。


こなつ


posted by 夏 小奈津 at 10:38| Comment(0) | 着物と物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月23日

ステテコ

先日、義母がお弔いの会へ出かけた。

義母は見番(・・・というのはつまり、芸妓さんや半玉さん(京都で言う舞妓さん)のいる置屋さんとお客さんをとりもつところで、踊りや地方(お三味線や鳴り物)のお稽古なんかもこの辺でスケジュールをしているのだと思うんだけど、詳しくはココにのってた。)とにかくその見番に出入りしているお師匠さんについていたので、芸妓さんたちとまだ交流があったりする。「三業さん」というのはそういう料亭さんや見番や花柳界のある場所をいうらしいんだけど、今ではもう廃れてしまったりしているところが多い。それでも、昔を知る人達はそのいまや普通の住宅街のようになってしまった地域を「さんぎょうさん」と呼んだりしているみたいだ。

もとはある置屋の「おかあさん」だった人がなくなった。身内の人もいるにはいるけれど、そのおかあさんをずっと看ていたのは置屋さんにいた芸妓さんだった人だ。おねえさんは本で読むような花柳界の人らしいキップの良さでおかあさんをずっと看てきた。

よくある話だけれど、死んだ後になったら急に身内風を吹かせるような人がいる。さんぎょうさんで何かあるとよくそんな話も聞く。ご多分にもれず、おかあさんとこの実の妹さんがなくなったらすぐにおかあさんのことを連れて帰ってしまったらしい。だいたいよく聞くのはそういう時ってかならず芸妓さんたちのほうが一歩引いてしまうのだ。それが彼女達の美徳なんだろうと思ったりもする。

だけど、今回の場合、そのおかあさんはそんな事もあろうかと遺書を書いていたので、おねえさんがおかあさんのことを最後まで看たことや何もかもをおねえさんに渡して逝きます、ということを法的に手続きできるように遺して行ってくれたために、少しはおねえさんがすくわれる事になると思う。まだ分からない。

そんな事で、おかあさんの遺志や色々と分かっているさんぎょうさんの「中の人」たちは実の妹さんとお話をして、御骨になったおかあさんを「お借り」して先日お弔いをした。むこうがびっくり仰天するようなお弔いをしてやろう!ということになったらしい。さんぎょうさんからそれほどは遠くない料亭と会場を借りて、「中の人」達が正装で集まったそうだ。
お年寄りが多かったので着物は思ったより少なめだった、とのことだけれど、義母の母(私の義理の祖母)が亡くなった時の義母の知人達の喪服(着物)姿を思い出すとさぞや壮観だったろうと思う。

義母も流儀の家紋のついた黒紋付を着て行った。南天の真っ黒な帯揚げ、家紋が織られている喪の帯、真っ黒というより少し煤けた感じの帯締め。ずいぶん着たんだなあ、これだけ人を見送って着たのだなあと思う、少しだけ古びていたりする。

「おかあさん」はそうだな、半年ぐらい前にはとても元気だったのだ。赤い爪をしていた、と義母が話してた。昔の花柳界の話を沢山してくれるのだそうだ。私はそういう話を聞くのが大好きだ。だから本当は直接そのおかあさんにも会ってみたかった。おねえさんには2,3回会った事があるんだけど、いつもご挨拶しかできないのでいつかきっと色んな話をきいてみたい。おかあさんがそのおねえさんのことを話すとき、とてもとてもステキな顔をするそうだ。「本当に娘みたいに、妹みたいに一緒にいたんだろうね」と義母と話している。いろんな話を聞けそうだなあと思う。


義母を車で料亭近くに送ってから、私たちは程近い大型スーパーでお買物をしたり遊んだりした。家の近くには商店街とちょっとしたスーパーがあるくらいなので、大きなマンションやら団地やらがある現代的な街の現代的な大きなスーパーは面白い。あれもこれも気になって、少し早めのカキ氷を食べたり、クレープを食べたりして、テナントの雑貨屋やら、大きな薬局やらを物色して歩いた。

娘を夫に任せて一フロアー全部を使った婦人服・婦人肌着をうろついた。隅から隅までw

下着やら靴下やらを見ていたら、ずらららら〜〜〜〜っとステテコが並んでいる。日本製のしじらのステテコでカラフル、模様も色々あって楽しい。裾のフリルも可愛いし一枚欲しいなあと思って購入した。

$普段着物で家事育児してます。

白い着物を着たら透けてしまいそうだけれど、濃い目の色の着物ならきっと大丈夫だろう。透けるからって白いのを買ったら、なんか親父みたいだし。
日本製なのに安かった。1480円。こういうのを思うと、どうして和装下着として売られるステテコがあんなに高いのかと本当に不思議。

ステテコは色っぽくはない。断言するけれど。踊るひとは浴衣の下にステテコを履いていること、よくあるけど、でも本当はやっぱり大股を広げる事が躊躇われるくらいがいいのだと思う。

齢九十を超えて赤い爪をしていたおかあさんのことを考える。
いくつになっても色気を忘れないで居る事、それでもとにかく人は老いていくこと、家族ということの意味。
自分は何歳まで生きるのだろうか、その時娘はどんな子になっているのだろうか、夫はどんなおじいちゃんになるのだろうか、その前に義母を看取ることになるのだろう、自分の両親も・・・。

一枚のステテコがこの夏我が家にやってきて、私はこのステテコを履くたびに赤い爪をした置屋のおかあさんに少し思いを馳せる。

こなつ

posted by 夏 小奈津 at 13:06| Comment(2) | 着物と物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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